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03-14-2022

貿易が行われていた、鎖国政策下の江戸時代における輸出入

江戸時代(1600年~1868年)は、徳川幕府の治世下において、鎖国によって貿易を統制していた。鎖国は、外交を遮断することではなく、国交を中央集権型の組織によって管理する事で、商人が行っていた民間産業を、幕府直轄の産業へ移行する政策であった。 

大航海時代 

15世紀、西欧諸国から世界へ積極的な進出があり、一般的に大航海時代と称されている。 

15世紀の日本では、 室町時代から安土桃山時代を経て、戦国時代の混乱期を迎えていた。

16世紀の日本においては、ポルトガル人による鉄砲の伝来、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta)の来日があった。 

この大航海時代の始まりから数世紀の時を経て、19世紀にはウェスタン・インパクト(Western impact)が起きた。産業革命によって強大化した大英帝国を中心としたヨーロッパ諸国が絶対的な経済力と軍事力をもって、アジア進出を深化させた。 

 中国においては、14世紀から17世紀に明王朝が続き、室町幕府には朝貢貿易が行われていた。勘合を用いた遣明使による公式の朝貢貿易は、勘合貿易とも呼ばれていた。一方で、倭寇や商人による民間貿易も活発に行われ、長崎や堺の町が栄えた時代でもあった。14世紀から15世紀明王朝の最盛期において、明王朝は東アジアおよび南海諸国数十ヶ国から朝貢を受けていたとされている。その明王朝は、16世紀に国内の争乱によって衰退し崩壊した。16世紀ごろから顕在化してきた明王朝の衰退によって、明王朝の冊封体制が揺るぎ、17世紀には新たな清王朝が樹立された。 

この中国の明王朝の衰退と、新たな清王朝への移行期間中、西欧諸国が求めるアジアの陶磁器への需要に応え、徳川幕府は伊万里焼などをヨーロッパ諸国へ輸出した。 
ポートワイン、伊万里焼、ジャガイモの共通点

15世紀、戦国時代を経て天下一となった豊臣秀吉は、中国明王朝だけでなく朝鮮、ポルトガル政庁のあったゴア(Goa, India)、スペイン政庁のあったマニラ(Manila, Philippines)、琉球王国(沖縄)、高山国(台湾)などへ国書を送り、海外諸国と新たな秩序の構築を狙った。結果的に、豊臣秀吉の対外強硬政策は良好な関係を築けず、諸外国との親交は進展が望めなかった。 

 
徳川幕府による外交政策 

江戸時代は幕府による統治下において、対外貿易を推進した。 

1600年、オランダ船リーフデ号(De Liefde)には、オランダ人ヤン・ヨーステン(Jan Joosten)とイギリス人ウィリアム・アダムス(William Adams)が乗組員として来日した。 

東京都中央区八重洲、「八重洲=やえす」は東京駅東側一帯の地名。ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子=やようす」が転じて八重洲の地名が名付けられたとの説もある。江戸城下に住居を構え、海外との交易を行った。 

ウィリアム・アダムスの和名は「三浦按針」、苗字の三浦は神奈川県三浦半島の地名が由来と言われている。造船技術や知識を持っている事から、徳川幕府の造船職人に西洋の造船技術を伝え、日本の造船技術を飛躍的に進歩させた。 

その後、徳川幕府はオランダとイギリスに貿易の許可を与えた。平戸(長崎県)にオランダ商館とイギリス商館を設営し、徳川幕府の管理下の下で貿易を始めた。続いて、ポルトガルやスペインとの通商を求めた。特にスペインとの交易のために、徳川幕府は京都の商人「田中勝介」をメキシコに派遣した。田中勝介は、歴史上始めて太平洋を渡った日本人とされている。 

 
17世紀は、洋書の輸入が禁止または制限されていた。 

18世紀、第八代将軍「徳川吉宗」の享保の改革によって、西洋の知識や技術の輸入が再開された。当時の洋書とは、中国語に翻訳された洋書であり清国から漢訳洋書が輸入されていた。蘭学とよばれ、徳川幕府は一部の知識層にオランダ語を学ばせた。 

天文学、地理学、医学などが普及し始めた。 

19世紀は、主流のオランダ語だけでなく、列強のロシア語、英語、フランス語、ドイツ語などを学び始め、医学や軍事の知識と技術が向上した。 


享保の改革
 

第八代将軍徳川吉宗は、西洋から様々な技術や道具を取り寄せた。望遠鏡、置時計や懐中時計、西洋式の甲冑や兵器に強い関心を持っていたとされている。 

船舶の荷役に用いる梃の原理を利用した牽引装置、今日のクレーンやジャッキなども模型を製作したと言われている。 


伝来した言葉
 

文化、知識、道具、技術などが日本へ輸入されたことにより、それらの名称も日本へ伝わり、日本独自の外来語へ変化した。これらの言葉は、江戸時代より前に伝来した言葉もあるが、西洋との貿易と総称した「南蛮貿易」によって日本に伝わり、今日に日本においても使用されている。

注釈:語源は諸説あるため代表的な語源を記載した 

貿易品目の改革 

幕僚田沼意次は、第九代将軍徳川家重、第十第将軍徳川家治の下において、貿易改革を行った。紀州藩出身の田沼意次は、人物像に賛否両論あるが、緊縮政策から一転として商業を発展させた人物として多くの識者が研究対象としてきた。 

輸入品 : 生糸、絹織物、砂糖、火薬、珍品、宝物など 

輸出品 : 金、銀、銅、鉄、硫黄、樟脳、日本刀、陶磁器、美術工芸品など 

当日の輸出品目の中で、銀は特に多かったと考えられている。 

 生糸、絹織物は日用品、砂糖は食料品、火薬などもすべて消耗品であり、消費してしまえばさらに製品を生み出すことはない。一方で対価として支払いに用いていた金や銀は、江戸幕府経済の貨幣制度を支える根幹であった。 

田沼意次は、当時開拓されていなかった蝦夷地に注目し、海鼠(なまこ)、干鮑(ほしあわび)、鱶鰭(フカヒレ)、総称して「俵もの」と呼ばれる海産物を輸出することで、貴重な金銀の海外流出を抜本的に改革した。 


貿易構造の改革 

今日の世界貿易市場の中で、輸出入の収支が常に均衡している国はない。2国間貿易においても同様に不均衡が生じている。貿易品目や収支額も年々変化する。 

貿易構造の変化は、大航海時代に入り、覇権争いを続けていた西欧諸国との影響力と中国の明王朝から清王朝へ変換していった外部要因、14~15世紀に室町時代から戦国時代を経て16世紀に始まった江戸時代へと移り変わった日本の内部要因があり、各要素がその時代に複雑な影響を及ぼしている。 

「鎖国」と称されている江戸時代の貿易制度は、江戸幕府による近代的な管理貿易を行っていた一面も見直されてきている。「鎖国」によって、西欧列強によって産業革命が起きた蒸気による機械化は導入されていなかったが、当時の日本において町民が読み書きを覚え、教育水準の高さは誇れるものであっただろう。 

「開国」、19世紀の黒船来航とも呼ばれる。西欧列強が迫った開国によって、日本は急速に近代化が進み、中世期の豊かな江戸時代の町人文化の時代から、国全体が他国と競争する時代へ突き進んだ。西欧諸国から技術導入が進み、明治政府によって、西欧列挙国との修好通商条約が次々と締結された。明治政府の下で、経済活動が進化すると産業の生産性が高まり、政府主導による列強との貿易交渉も行われた。圧倒的な列強諸国の軍事力や経済力を学び、自国の発展を導いていった当時の貿易には、経済規模の違いはあるが、現代の国際取引市場に起こる変化へ対応する貿易構造の革新へ繋げるヒントがある。自国の都合だけで動いているわけではない今日の経済活動を、国境を移動しているモノ、カネ、情報にも関心を高め、輸入貿易の飛躍的な発展に注目していきたい 

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