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アパレル貿易及び繊維貿易の潮流と追従してきたアパレル物流

アパレル貿易及び繊維貿易の潮流と追従してきたアパレル物流

繊維業界は、鉄鋼、自動車、機械と並び、日本の戦後から高度成長期を支えた日本を代表する産業であった。

その後、アパレルの製造拠点は次々とアジアの新興国に移転し、業態を変化させてきた。ファッション業界は華やかな産業であり続けているが、アパレル製品を製造、輸入、販売するアパレル輸入貿易は、かつての勢いを失っている。

日本国内の繊維製品は、繊維輸入組合の統計データを基に考えると、約36億点の衣類が日本の市場で販売されている。その中の約98%は海外からの輸入品だ。

ここでは、アパレル貿易の潮流と、アパレルの海外進出に追随することで発展してきた日本のアパレルサプライチェーンを解説する。

◇アパレル業界の4つの転換期
商社が繊維貿易を牽引
アパレル小売の直貿
SPAの台頭
D2CがEC市場で急成長

繊維貿易、40年間の潮流

◇1970年代
商社が繊維貿易を牽引。
日本が紡績や繊維製品を輸出、当時は日本の紡績業が最も華やかな時代であった。
東レ、帝人、鐘紡、東洋紡などの生機(繊維生地)で著名な企業が成長した。
日本の市場では、オンワード、ワールド、レナウンなどのアパレルが百貨店やアパレル専門店でアパレル製品を販売した。

◇1980年代
1985年のプラザ合意によって、繊維貿易は、日本から輸出するビジネスモデルから、輸入するビジネスモデルへ転換期が引き起こされた。
ブランド品が流行する、DCブランドや海外高級ブランドが日本の市場を席巻した。
アップストリーム(upstream =川上)は繊維商社が原材料調達や供給を担い、ダウンストリーム(downstream =川下)はアパレルが企画、販売を行う事で共存共栄が保たれた。
繊維製品の生産拠点は韓国や台湾が日本に代わり生産を伸ばした。

◇1990年代
アパレル小売の直貿が始まった。
中国が海外輸出のための繊維製品生産を本格的に始めた。
ブランド品に代わりUNIQLOを代表するSPA(=Specialty store retailer of Private label Apparel)やイオン(=当時のジャスコ)などのGMS(=General Merchandise Store)が、低価格高品質の繊維製品を中国で製造し、日本へ輸入を始めた。
ファイブフォックスやサンエー・インターナショナルもビジネスシステムの変革を図った時期であった。

◇2000年代
SPAの台頭。
計画大量生産時代に突入
商社が始めたサプライチェーンの手法の一つであるバイコン(buyers consolidation )を、多くのアパレル企業が模倣した。
海外ファストファッションが日本市場上陸と同時に大流行、製品単価の低価格化に拍車がかかる。
百貨店やアパレル専門店以外に、ショッピングモール、アウトレットモール、EC市場など、小売業の多様な販売チャネルが生まれた。
チャイナプラスワンが騒がれ始め、ASEANシフトが始まった。 v
繊維はベトナム、タイ、インドネシアへ生産拠点を求めた。
自動車や電機分野はMTIP(Malaysia、Indonesia、Thailand、Philippine)へ進出した。
MITPを生産拠点と考えただけでなく、近い将来の有望な消費地へ変貌することを見据えていた。
2005年以降は、タイやインドネシアの加工賃上昇によって、繊維商社はMCB(Myanmar、Cambodia、Bangladesh)に注目した。

◇2010年代
D2C(Direct to Consumer)がEC市場で急成長。
二極化が浸透した。
アップストリーム(upstream =川上)における二極化とダウンストリーム(downstream =川下)における二極化が同時に起きていた。
生産国のアップストリームにおいては、低価格大量生産型と少量特注型の二極化による棲み分けが一層鮮明になり、生産拠点別の得意分野が深まった。
FTA・EPAの締結が、ASEAN貿易を加速させた。中国の縫製工場が、ASEAN各地へ進出したことによって、ASEAN工場の生産性が向上し、製品品質が改善した。
ダウンストリームにおいては、2000年代後半に日本に続々と進出した外資のファストファッションが代表するような低価格大量生産と、ニッチなニーズを捉えた高価格品や少量生産のデザイン性の高い製品の二極化が進んだ。
エコロジー、素材のオーガニックや製品のサステイナブルが注目されるようになり、SDGsの観点から製造や製品を見直す動きが生まれた。

◇2020年代
店舗での購買に制限が設けられた中で、ECを主な販売先としていたD2Cが急成長するとの予測もあったが、D2Cの販売拡大は限定的であった。
直貿や繊維商社を通じた調達網を持ち、在庫も抱えて販売してきた店舗型の従来アパレルは、在庫の販売と調達力の底力でECの売り上げ規模を引き上げてきた。
主な生産地の中国の縫製工場が軒並み停止すると、小規模事業者が多く、規模や調達力に限りがあるD2Cは、安価やトレンドを重視していたために、在庫量や調達に限界があったようだ。
ファッションアパレル業界が低迷している中で、百貨店やアパレル小売り及びEC市場など、販売方法の多様化によって消費者の利便性は飛躍的に向上した。
低収益に喘いでいたアパレルや繊維業界は、輸入ビジネスの5重苦を抱えるようになった。

繊維貿易に追従してきたアパレル国際物流

◇1970年代
日本の物流業界の国際化が進み、本格的に組織化されていった。
繊維産業が集積する西日本が紡績輸出の先頭を走るため、神戸港が輸出港として発展する
世界規模のコンテナリゼーションによって、コンテナ海上輸送が本格化していった。

◇1980年代
高度成長による消費市場の拡大を受け、輸出一辺倒であった繊維貿易は、繊維製品を輸入する輸出入バランスの転換期を迎えた。
繊維貿易を行う商社に追随し、物流会社が台湾や韓国などの東アジアへ進出を始めた。
日本において、フレイトフォワーダーやNVOCCの概念が形成され始めた。

◇1990年代
加工貿易が制度化され、日中双方の減免税制度が確立し始めた。アパレル貿易は、通称「暫八」と呼ばれる日本の加工再輸入減免税制度を活用した。
中国においても、来料加工や進料加工などの加工貿易制度が確立し、中国において繊維貿易公司や縫製工場が、減免税制度を利用した。

◇2000年代
加工貿易が制度化され、日中双方の減免税制度が確立し始めた。
中国に保税区、輸出加工区、物流園区が新設され、繊維原材料の中国国内調達が加速した。
物流会社は、繊維商社やアパレルの直貿を囲い込むために、国際輸送や保管業務の付加価値として、アパレル製品の検品業務も請け負うようになった。
中国各地に検品会社を設立し、検品、検針などの製品チェック以外に、日本の店舗別の配分・アソートなどの付帯業務を中国にて作業した。
従来、日本国内のアパレル物流は、日本の倉庫(物流センター)において、中国から届いたカートンボックスを開け、店舗別にピッキング、配分、種まきなどと呼ぶ作業を経て、再梱包を行い、実店舗へ配送していた。
2000年代以降、アパレル物流のサプライチェーンは、加速度的に進化した。
生産国の中国側にて日本の店舗別に配送できるよう梱包する事で、保管型の従来型倉庫ではなく、流通型のクロスドックセンターと呼ぶ物流センターにて、箱別に検収するだけで出荷できるようになった。
当時は中国の人件費が割安であったために、物流コストの低減に寄与した手法でもあった。
アパレル物流にRFIDの活用が検討され始めた時期でもあった。
一部の物流会社は、ASEANシフトを始めた。1980~90年代にシンガポールやタイに進出した物流会社は、横展開でベトナムやインドネシアへ触手を伸ばしていった。
地球温暖化対策としてグリーン物流に着手する物流会社が増えた。

◇2010年代
アパレル貿易のアップストリームとダウンストリームが二極化する変化と比例するように、アパレルのサプライチェーンも多様化していった。
中国が生産国から消費国へ変化する時期に入り、ドロップシップと呼ぶ内販(=中国国内販売)に対応した物流手法が運用されるようになった。
日本のアパレルや小売りがアジアの新興国へ進出し、各国で販売を始めた。
ドロップシップは、中国の内販だけでなく、中国発アジア各国への店舗に向けても実施されていった。
製品を生産する縫製工場は、アセアンシフトが進み、アセアン各地へと生産地が広がったが、染色工場や副資材などの原材料工場の多くは中国に残っていたため、中国アセアン日本の三国間貿易が増えた。

◇2020年代
サプライチェーンの歪みによって、アパレル物流は製品調達と供給が困難な局面を迎えた。
運賃の高騰と高止まり、空コンテナ不足やスペース不足など、物流会社の自助努力では解決できない難題を抱えた。
物流現場の従業員は、エッセンシャルワーカー(=Essential worker、必要不可欠な労働者)と呼ばれるようになった。

アパレル貿易や繊維貿易とサプライチェーン
アパレル業界は、製造、貿易、販売など広域なビジネス領域で事業を展開している。
一方で、SPA、外資のファストファッション、D2Cなど新たな業態が生まれてきたが、既存のビジネスモデルに固執し、ダイナミックにイノベーションを起こすことができていない。
例えば、製造と貿易に強い繊維商社は販売に弱い。販売に強いSPAは、海外の縫製工場の維持管理や新規工場の開拓に弱い。
新興のD2Cは、調達と国際物流に弱い。
トレンドの最先端を追い求めるファッションを製造し続けているが、ビジネスモデルに目覚ましい成果を挙げているイノベーターは数少ない。
アパレル業界へサービスを提供し続けた物流会社も、既存サービスを拡張することで、ニーズに応えてきた。
国内物流の会社が、国際物流の領域へ進出する。
商社が物流会社を買収し、自らの貿易に自社ネットワークを活用するなども、アパレルサプライチェーンの分野において、目覚ましいイノベーションを起こすほどではなかった。
サーキュラーエコノミー、SDGs、DX、グローバルトレードなどのトレンドワードは、ファッション業界においても取り入れられているが、アパレル業界全体の構造を根底から変革するようなビジネスモデルはまだ目にしていない。
人が着用する衣類は、日々の生活に必要な日用品である。
ショッピングを楽しむ観点においても、ファッションは人々の生活に大切な楽しみを提供している。
100年以上続く化石燃料によるエンジン自動車の歴史にバッテリーで動くEV車が登場した。リアル店舗にて対面で販売する事が当たり前であった販売手法には、インターネットの登場によってEC市場が生まれた。
アパレル貿易や追随してきたアパレル物流に、業界を大きく変革するビジネスモデルが生まれてくることを期待している。

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