神戸港は大阪湾奥、神戸市の南部海岸にある市営港です。
六甲山が季節風を防ぐこと、潮の干満差が小さく安全に係留できることなど、数々の自然条件に恵まれた神戸港は天然の良港で、古くから大陸との交易により栄えてきました。
神戸港は日本列島のほぼ中心に位置し、北米・欧州・豪州・アフリカ・オセアニア・東南アジア・中国など世界各国の港と国際定期航路で結ばれており、世界の主要船社が直航サービスを配船しています。日本の各港への内航航路網も充実し、神戸空港もあることから海空陸の総合ターミナルとしても機能しています。
またコンテナ取扱貨物量は国内3位と国内有数の港となっており、阪神港としてスーパー中枢港湾の指定、国際戦略港湾の指定を受けています。
神戸港には、中突堤、新港、摩耶埠頭、ポートアイランド、六甲アイランド等、広く東西に様々な港湾設備があります。
中突堤は古く大正時代に建設された突堤で、飛鳥IIなどの外航クルーズ客船や長距離フェリーが発着する中突堤旅客ターミナルがあります。ここには神戸港の象徴とも言える神戸ポートタワーや、波を象った個性的な外観のメリケンパークオリエンタルホテルが建ち、その夜景の美しさは有名です。
新港第4突堤の神戸ポートターミナルは市内と沖合のポートアイランドを結ぶモノレールの駅と直結しており、市内からのアクセスも比較的スムーズなことから国内外のクルーズ客船の発着の拠点となっています。
さらにここでは上海港と神戸港(隔週で大阪港)を片道約2日で結ぶ日中国際フェリーの「新鑑真」「蘇州号」による定期航路が就航しています。「新鑑真」は阪神港に月曜入港・火曜出港、上海に木曜入港・土曜出港、「蘇州號」は阪神港に木曜入港・金曜出港、上海に日曜入港・火曜出港というウィークリースケジュールで運航しています。
エフシースタンダードロジックス株式会社では、この定期フェリー路線を活用した低コストでスピーディーな日中間の輸送サービスも提供しています。
関西にはアパレル企業が集結していることから阪神港ではとりわけ中国からの衣料品の輸入が主となっていますが、定期フェリーを利用したコンスタントな貨物輸送は、混雑により納期の見込みが立ちにくい東京港揚げの海上輸送に代わって需要を伸ばしています。また、新型コロナウイルスの影響で中国からの航空貨物スペースが不足し、運賃も高騰していることからも、このフェリー船を利用した複合一貫輸送は低価格でスピード感のある輸送方法として注目されているところです。
摩耶ふ頭はポートアイランドと六甲アイランドの中間に位置し、物流交通アクセスが良好であることから物流センターなどが立地する流通業務地区となっています。エフシースタンダードロジックス株式会社は子会社の中外海運倉庫株式会社本社及び摩耶倉庫を摩耶埠頭に置いています。摩耶倉庫はエフシースタンダードロジックス株式会社の神戸港における混載貨物専用倉庫(CFS)の役割を担っており、経験豊富なスタッフによる適切・迅速な通関業務、入出庫と保管、配送業務を行っています。
ポートアイランドは新港東頭沖の広大な人工島で、沖合には神戸空港が位置しています。周囲には国際コンテナ戦略港湾としての主要施設である水深15~16mの最新鋭コンテナターミナルや、各種ライナーバース、公共上屋など港湾物流機能用地が配置された最新鋭の総合物流基地であると共に、内部には住居地、病院、学校、商業施設など総合的な都市機能を備え人口2万人を抱える海上都市となっています。
六甲アイランドもポートアイランドと同じく高規格コンテナターミナルが整備された人口島で、航空貨物ターミナル等の物流関連施設が立地し陸海空の物流拠点となっています。こちらも内部には都市機能が一通り揃っており、外資系企業や国際学校などが多いため国際的な雰囲気の海上都市となっています。
古くは奈良時代にまでさかのぼるほどの歴史をもつ神戸港。明治以降の近代化によって成長を続けた神戸港はアジアのハブ港としての地位を保ち、昭和42年に日本初のコンテナターミナルを備えた摩耶埠頭が竣工すると、国内のみならず世界有数の国際貿易港として栄えました。
残念ながら平成7年の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けたこと、そして同時期に香港・台湾・シンガポール・韓国などの港湾が強化されトランシップ貨物がアジア諸港へシフトする流れがあったことも重なり、その成長の勢いは一旦足踏みを余儀なくされてしまいました。
ですが、六甲アイランド沖で新たに誕生する広大な埋め立て地には令和32年をめどに東南アジア・北米間コンテナのトランシップ拠点が建設される予定となっており、AIなどを活用し自動化を取り入れた最新鋭のコンテナターミナルを備えるなど、神戸港の国際競争力を取り戻す計画が進められています。それに伴う元町・三宮などの繁華街周辺から港湾地域に及ぶ大規模な再開発計画もあり、今後神戸は町も港も大きく変化していくことになりそうです。
古代から中国など大陸との交通の要衝として発達し、住吉津、難波津と呼ばれた大阪港。
江戸時代には全国を網羅する水上交易ネットワークにより日本の物流、商業の中心地として栄えた大阪は「天下の台所」と呼ばれるほどでした。
大阪は港と共に発展してきた町です。大阪の市章が、昔、難波江の浅瀬に立てられていた航路標識「みおつくし」であることからも、大阪の繁栄と海運との深いつながりを感じることができます。