「ロマン漂う街」「東方槐城(アカシアの街)」「北方の真珠」
トリップガイドや旅行サイトなどでよく見かけるフレーズの数々からも、大連が中国有数の風光明媚な港町であることが伺えます。
食通の方なら海鮮料理を筆頭に餃子やラーメンの名店、あるいは「紅豆粥(お汁粉)」「油炸元宵(揚げドーナッツのようなお菓子)」などのスイーツを思い浮かべる人もいるかもしれません。
海上速達便サービスの拠点のひとつでもある大連、もっと知ってみたくありませんか?
今回の記事では大連について紹介していきます。
遼寧省の最南端に位置しており、中国東北三省の中でも唯一、三方が海に囲まれた場所にあります。2020年には世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキングで28位になった大連港を擁する大連市。
常駐人口は約600万人と、他の大都市と比較するとそれほど多いわけではありませんが、近年、特に1990年代に入ってからは目覚ましい発展を遂げています。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』をはじめ、大連を舞台にした文学作品も多く、日系企業が多く進出していることもあり、名前を知っている人も多いのではないでしょうか。
世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキングで28位にランクインしている大連港。中国国内でも有数の規模を誇り、特に中国東北地区では青島港や天津港に次ぐ国際貿易港として大きな役割を果たしています。
2021年には大連港とロシアのモスクワ、ドイツのデュイスブルクなどを結ぶ国際貨物鉄道路線「中欧班列」が相次いで開通され、陸上・海上輸送拠点としての重要度はますます高まっています。
博多港とは相互交流港、北九州港、横浜港とは友好港として関係を結んでおり、各港の発展のために交流を行っています。
日本とも深い関係がある大連市はどのような歴史をたどり成長してきたのでしょうか。
ここからは大連市の歴史、中国の主要都市からのアクセス経路や日系企業の進出状況について紹介していきます。
現在の大連市の成り立ちを語るうえで、近代の戦争の名残を無視することはできません。
1894年から1895年にかけて行われた日清戦争後の三国干渉によって租借する権利を得たロシアが遼東半島を「Дальний/ダルニー(ロシア語で「遠い」の意味)」と名づけました。ロシアは巨額の資金を投入して港を整備し、フランスのパリをモデルにして街を形成させていきました。
その後日露戦争のポーツマス条約により、遼東半島先端部の租借権がロシアから日本に移ってから、都市名は清朝の地名「大連湾」をもとに「大連市」とされました。当時の日本政府は大連を貿易都市として発展させるために、港を含むインフラの整備に力を入れ、ロシアの都市計画を推し進める形で西洋風の街並みを形成させ、1920年代には中心都市が現在の形になっていったのです。
第二次世界大戦を経て、大連が現在の中華人民共和国に返還されたのは1951年になってのこと。
1985年には中国政府から「計画単列都市」として認可され、省内の都市でありながら省と同じ権限が与えられ、1990年代に入ってからは改革開放路線の元、中国華北地区でも著しい発展を遂げています。
その結果、現在では冒頭に記載したような数々の二つ名で親しまれ、「中国で最も住みやすい都市」にも選ばれています。
大連は経済技術開発区をはじめとする様々な外資優遇措置のおかげで、日系企業も多く進出しています。外務省がまとめたデータによると、中国・大連に進出している日系企業の拠点数は1800以上になり(2019年調べ)、なかでも特に製造業の進出が群を抜いており、中国国内の中でも日系企業の誘致に成功している都市に数えられています。
また、大連に位置する各大学から輩出される日本語学習者の多さも日系企業の進出に一役買っていると言われています。
中国国内からの移動であれば、飛行機の場合、北京からは約1時間半、上海からでも約2時間程度で行ける距離にあります。
日本からの移動であれば、成田空港や羽田空港からは約3時間、その他の都市(関西・中部・富山・広島・福岡・新千歳・仙台空港)から直行便が出ています。
大連は世界有数の港なのだから、せっかくなら客船で船旅を楽しみたい!と考える人もいるかと思います。ただ、残念ながら現在日本から大連に直行で運航している客船はないようです。もし、どうしても船旅を楽しみたいということであれば、中国国内の山東省の主要都市(煙台や威海)や韓国の仁川港からは大連への旅行用客船(フェリー)が定期就航しているので、心置きなく旅行が楽しめるようになったら大連への船旅にチャレンジしてみるのもよいかもしれませんね。
大連市を挙げての年中行事では、春節や国慶節の頃に開催される花火大会や、大連国際マラソン大会、大連国際ビール祭りなどが有名です。
5月、大連市の花であるアカシアが満開になるころには大連国際槐花節(アカシア祭り)も開催されているそうです。「東方槐城(東方のアカシアの都)」というのはこれが由来なんですね。
2003~2006年頃に大連駐在していた経験者から、当時の体験談を聞いてみました。
『緯度は宮城県仙台市とほぼ同じなので、真冬以外は寒すぎたり暑すぎることもなく、比較的過ごしやすかったです。中国には珍しく山と海どちらにも近接しているというのも、日本の環境に似ていて親しみがありました。
魚介類がおいしいと評判ですが、獲れる種類は日本海に類似していて、貝類、ウニや甲殻類が安くおいしく食べられました。他には平目や鯛の養殖も有名ですね。
当時から一人鍋スタイルの店もあったので、私はカキ鍋にハマって食べまくりました。』
『中国では、今でこそ様々な地域で寿司や刺身が当たり前になりましたが、大連には1990年代からすでに魚介類を生食する習慣がありました。新鮮な魚介が豊富にとれた事や、水が清潔であったことが背景にあるからでしょうね。
1990年代~2000年以降に大連へ進出した日系企業の駐在員にとって、中国東北地方で収穫した白米と大連近海で獲れた新鮮な魚介は大きな楽しみの一つでしたよ。慣れ親しんだ日本の食文化とのギャップが少ないおかげでストレスが軽減されていたように思います。』
などなど、大連グルメについての体験談が多く上がりました。
医食同源ともいいますし、やはり食事が合うというのはポイントが高いようです。
他にはこんなエピソードも・・・。
『大連の地元メンバーが週末になるたびに「上海!」というので、てっきり上海市に旅行するのかと思ったら、上=go to、海=sea(beach)、つまり「海行こうよ!」という意味で使われていた地元語でした。』
『日本ではつい最近(2017年)に認可されたダブル連結トラック(荷台部分が2つ連結されている超大型トラック)が2000年初頭にはすでに大連港と黒竜江省の間を走っていて、初めて見たときはびっくりしましたね。』
『映画ラストエンペラーにも登場したホテル大連賓館など、モダンな雰囲気の近代建築がいろいろあって観光スポットとしておすすめですよ!』
近代以降、日本とも関わりの深い都市、大連。
遼寧省の最南端に位置する風光明媚な海辺の町・大連は、世界有数の貿易港を持ち、日本企業も数多く進出しています。
名前だけはよく知っているという方も、あらたな大連の一面に気付いていただけたでしょうか。